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Archive for the '日記(日本語)' Category

誘惑

日本人、中国人、アメリカ人に囲まれて韓国語を学ぶのは結構つらい。慣れ親しんだ言語で、スムーズに交流をはかりたいという誘惑がつねにあってつらい。授業の合間に各国語が同時に耳に入ってきてつらい。これ「○○語ではなんという意味?」ときかれてつらい。中国語分からないフリしてみたけど、やっぱり2日と持たなかった。他言語の誘惑にどう立ち向かうか、マルチ言語というアイデンティティをどう押さえるか、自分との戦いなのだ!
誘惑といえば、アジア(特にソウル)にいるとやはりフェミニズムとアンチ消費社会をどう突き通すのか、という問題にも突き当たる。女性の対象物化が恐ろしい勢いだから。このエステの数。広告のあり方やドラマでの女の描き方。最近東京に寄ってないから分からないけど、東京に帰ると同じように思うのかな。香水の匂いがプンプンする学校で、10代後半〜20代前半の学生に囲まれて、頑固にノーメイク、ノーアクセサリにビーサンでいる私だけれど、常にそういう社会の目で「見定め」られ、「問われ」るのは、さすがに疲れる。

アメリカ人の生活?

こないだまで80F(26.7C)度でヒーターが設定してあったと思ったら、その次の日には62F(16.7C)の冷房がついていたり
外の気温がちょうどいいから、エアコンを止めて窓を開けようと提案したら「そうだね、そしたら光熱費を安くできるね」という返答だったり
普段キッチンのゴミをためているくせに、ゴキブリを一匹見るとゴキ退治のスチームを家中にいきなり焚いたり
アリ退治の薬物を床に置いているくせにピーナッツの殻を床にまいたまま放置したり
イェローマスタードのボトルが冷蔵庫に6個あったり
こういうところ理解できない。

お知らせ:Switching Fields, Switching Schools

Dear My Friends;
大事なお知らせです。George Washington大学政治学部の博士課程に入ってはや2年。もうすぐコースワークも終わり...なのですが、転校/転向することになりました。ハーバード(EALC)とコロンビア(History)の歴史学の博士課程に受かり、秋よりどちらかの大学に移ることになりそうです。専攻は台湾と韓国の現代史で、私自身のプロジェクト自体(国民国家システムと軍隊の関わり)に変化はありませんが、環境とアプローチが大きく変わります。以下英語でなぜ政治学から歴史学へ移るのか、私の中での思考の変化を説明します。
I would like to make an out-of-the-blue announcement. I have not yet made any mention of this on this site, or told many of my friends or professors in my department: I am going to switch my academic field from political science to modern history, and accordingly I am going to [...]

2007年 新年を迎えて

クリスマスから新年にかけて2週間道の両親が住むオクラホマですごし、昨日DCへ帰ってきた。去年のクリスマスに道の妹カリンちゃんに赤ちゃんができたというめでたいニュースを聞き、今年は4ヶ月の赤ちゃんと共に過ごした。一年が過ぎる速さをまた実感した。
今後どのような形であれアカデミックな世界で生きていこうと決心した私にとって、去年はその年間ルーティーンを初めて本格的に味わった一年であった。学期中は授業やTA/RAの仕事の傍ら、夏の奨学金申請におわれ、夏はアジアをウロウロし、自分で決めたテーマについて調査/研究をする。色々な理論、視点、歴史研究に触れ、毎日「目からウロコ」体験をする。コーヒー中毒になる。タイピングのし過ぎで腕が腱鞘炎になる。視力が悪化する。段々日常生活の細かなことに関して忘れっぽくなる。
最近友達とも、道ともよく話すのが、消費文化の行く末である。母が昔から環境問題に敏感だった(中元/歳暮でもらう化学性洗剤セットの処理にいつも困る)のでゴミ収集、排水溝、冷暖房機器のスイッチの一歩先まで考える癖は染み付いていると思っていたが、アメリカに来てその敏感さを失いつつあった。あぶない。飛行機にのる機会が多いのが私の生活での最大の問題だ。最近はそういった環境問題だけではなく、企業文化、資本主義の行く末を憂いて仕方がない。なぜ今だに日本が「成長路線」などを掲げているのだろう。新しい生活スタイル、価値のあり方を考える時期ではないのか。個人レベルに焦点をあてると、なぜ豊かになるともっと豊かに、もっとスタイリッシュに、と関心が移るのだろう。私もアップル社のブランディングについ引かれがちであるので、気持ちが分からなくもないが、過剰な物欲を美徳とするような経済のあり方は普通に考えておかしい。情報へのアクセスも教育レベルもある人々の関心が内向きのまま、自己の利益と快適さしか考えられないのは、悲しい限りだ。消費社会に踊らされていないか。どういう世界をつくりたいと思っているのか、自分の言動がそれを阻んでいないか。これから教育に携わる上で、こういう自己の哲学や信念と行動力を育てることを第一の目標にしていきたい。

混血防止の理由

小熊英二『単一民族神話の起源』253ページ。
1943年、厚生省研究所人口民族部が『大和民族を中核とする世界政策の検討』という文書を作成。当時の朝鮮総督府、台湾総督府の同化、皇民化政策に相対して、ここでは混血防止が強調されている。なぜかというと:
「混血児は、適応力や病気抵抗力に欠け、代を重ねるごとに原住民族に近づくか、別種の民族となって支配民族から遠ざかり、さらに『性格的に依頼心、事大主義、無責任、意志薄弱、又は虚無的、性格破産的傾向を持つ』」
らしいです。思わず本においおい、ってつっこんでしまった。

嘘の上塗り

言語を習い始めてまだ言いたいことが50%くらいしか言えない時、自分が言える範囲でもって答えるために事実の方をねじ曲げることって誰しもあるだろう。今私の韓国語はそういう感じだ。3つ目の外国語なんだから、いい加減それをしないように学べばいいんだが、うまくいかないもんである。言語の問題だけじゃなくって、私の経歴を説明しだすと結構長くなるので、通りすがりの他人にそこまで話したくない、というのもある。以下韓国語で作り上げてしまった私の虚構の世界:
ケース1:今年の夏アメリカから台湾経由で韓国への往復チケットを利用した。韓国で10週間滞在した後、韓国と日本間往復チケットを両親にとってもらい帰省。飛行機でチェックインできる荷物の量がアジア内移動では半分以下なので、日本に帰っている間は友達にスーツケースを預かってもらっていた。日本からソウルに戻って、ホステルで一泊してすぐ台湾、アメリカへ発つという予定の中、その友達の家へタクシーで向かっているその時であった。
運ちゃん:日本から来たの?
私:そうです。(う、しまった、いつもは念のため台湾人って答えてるんだった)
運ちゃん:韓国で何しているの?留学?
私:(10週間ソウル大にいてその後帰省していて、一泊だけして台湾経由でアメリカに戻る途中で、友達に預けたスーツケースをとりにいくところ、なんて説明できない!)いや、観光です。
運ちゃん:あ、そう。韓国語は日本で勉強したの?
私:いえ、アメリカで。(あ、しまった!話がややこしくなる)
運ちゃん:アメリカ?
私:アメリカに住んでるんです。
運ちゃん:アメリカで留学?何勉強してるの?
私:政治学です。
運ちゃん:へーアメリカの政治はおもしろいでしょ。
私:(アメリカの政治じゃないんだけど、まいいや)はい。
運ちゃん:今回はどれくらいの滞在?
私:(げ、一泊って変だよね。)ええーと、1週間。
運ちゃん:いまからなんで**大学に行くの?
私:友達がいるので。
運ちゃん:彼氏?
私:(なんでそんなこと聞くんだ?)いいえ。女の友達です。
運ちゃん:韓国人の男の子はいいでしょ?
私:(なんて答えるべきなんだ?!)えーと、はい。
運ちゃん:韓国人と結婚しなさい。
ケース2:今日NYからDCへ帰るバスの中、DCに到着して最初の停留所に着き、私が「ここはどこ?」と隣のアメリカ人に聞いた時だった。後ろの席にいた韓国人のおばさんが急に韓国語で話しかけてきた。
おばさん:どこで降りるの?
私:15thとKで。
おばさん:次のストップよ。ずっと一生懸命勉強してたけど、学生?
私:ええ、博士学生なんで。
おばさん:へー何勉強してるの?
私:政治学です。
おばさん:へー政治学の博士号とって政治をやるの?
私:(政治をやるという表現に気付かず適当に)はい(って言ってからしまった、と後悔)
おばさん:あらまあ、ここで?韓国で?
私:いや、私韓国人じゃなんです。
おばさん:ええ?韓国人じゃないの?どこの人?なんで韓国語話せるの?
私:(ついくせで)台湾人です。韓国語は学校で勉強してます。
おばさん:へー、韓国系アメリカ人かと思ったわー。何カ国語話せるの?
(ここは普通に答える)
おばさん:あらまあ。あなたアジアのために政治頑張ってちょうだい。あなたに投票するから名前書いてくれる?
(つい本名を書いてしまい、後悔)
おばさん:あら?これは日本人の名前じゃないかしら?
私:両親は日本人なんです。
おばさん:あらまあ。でも台湾で育ったの?すごいわ〜。
私:...はい。
とまあ、茶谷さやか七変化である。

ゆ、ゆ、ゆるされない

遅ればせながら、今このニュースを読んだ。
姜尚中教授に石原知事反発 「怪しげな外国人」
なんてとんでもないことを言うんだ。身の毛がよだつ。なんでこんな人が首都の知事などやっているんだ。日本という国が全然分からない。

33年前の世界一周旅行

私も移動好きであちらこちらでフラフラしているが、この旅好きは親譲りかもしれない。まだ日本人にとって海外旅行が珍しかった33年前、うちの両親が世界一周旅行をした。当時二人は27歳、今の私と同い年で、2歳になる姉を母の実家と妹に預けての3ヶ月放浪の旅である。そのときの話を断片的に聞いたり写真を見たこともあったが、この歳でまた母の回想を聞くと、面白い。
その年代で世界一周というと、もしかしてお金持ちかと誤解されるかもしれないが、そうではない。うちの両親はかなり始末した生活をしていた。当時父は大手の広告代理店で働いており、そこの留学制度にあやかって、一人でアメリカの大学院に1年留学していた。会社からの派遣ということで、月給が10万円に満たない(基本給4万程度)時代ながら、一日に一万円という出張手当がついていたらしい。そのお金を貯めた父が留学の最後に、母を世界一周に誘うのである。飛行機に乗ったこともない母も若さと好奇心からその話にのり、父の詳細な指示にしたがって、まず飛行機のチケットを買いにいった。その時チケットが一人80万円。母はびっくり仰天である。繰り返すと、母が父の勤め先より受け取っていたのが4万円の基本給だけだった時なので、そりゃびっくりしただろう。
出発は1月の寒い時期だった。母にとっては初めての海外で、2歳の娘を預けての大冒険である。祖父が母を車で空港までおくったが、別れを言うのがつらすぎて、空港の端っこに着くや否や母と荷物を下ろし、「じゃあ」と言ってそそくさと去ってしまった。慌ただしく下ろされた母が空港を見渡すと、チェックインカウンターはターミナルのずーーーっと向こう側にある。「ちゃんと送ってよ〜」と思いながらの旅の始まりだった。今から考えると、祖父や祖母はそりゃあ心配したことだろう。あとで家のガラスのテーブルが突然バリーンと割れ、皆が「(母の乗った)飛行機が落ちたんだ」と思ったらしい。
母はまずハワイに向かい、一人で一泊するというイベントをこなさなければならなかった。母はあまり英語ができないし、初めてだし、ハワイでの一日は緊張のピークだったことだろう。とにかく父が書いたものすごく細かい指示を一つずつ守っていった。荷物は小さな小さなスーツケースひとつのみ、旅行の途中で気候が変わるから捨てても良いコートを着てくること、ハワイの空港でコートを脱ぐと荷物になるから、ホテルの部屋につくまで脱がないこと(忘れっぽい母のための助言か?!)、タクシーは高いから乗らないでリムジンバスに乗ること、食事は2、3ドルのものを食べること。当時のハワイは新婚旅行のカップルが行く場所だったので、きれいな夏服を着たカップルの横に、汚いコートをいつまでも着、小さなスーツケースを抱えた若い女が一人。想像しただけで異様だ。すごい格好ですね、と言う人に対して「日本はとても寒かったんです」という答えもややトンチンカンだが、それだけ答えられただけでもすごい。
食事に出た母は、メニューがよくわからないので、適当に指でさし、「これください」と注文。でてきたのはハムばっかりのオードブル。ブルースリー並みの失敗談である。その後は知恵がつき、ビュッフェ形式のレストランに変えたと言う。
それでもハワイはいいホテルがすでに予約してあったから良かった。このあと3ヶ月、行き当たりばったり、二人でホテル代込みで一日10ドルという予算での貧乏旅行をしていくのである。一ドルが300円の時代、レストランでチップを置くのもつらく、少しだけ置いて逃げるように帰ったと言う。海外で見る日本人は農協のツアーに参加している農家のお年寄りばかり。当時の話をする時必ず「若かったからね〜」と両親は言う。
そんなこんなで母はハワイよりサンフランシスコに移動、父との一年ぶりの再会である。ああ愛しの君、と思いきや、現れたのは長髪に毛糸の帽子をかぶり、ヒッピーと化した父であった。一応一年前までは会社員である。母のショックはよく理解できる。
初めてアメリカ大陸におり着いた母は、色んなもののスケールの大きさと躍動感にびっくりする。女性がバスやトラックを運転している!!といった光景も目新しかった。
その後の旅行の話もちょこちょこと話にのぼるが、No.1ヒットのエピソードは、二人がイギリスからコペンハーゲンに降り立ったときの話である。今でもそうであるが、スカンジナビア諸国の物価はとても高い。コペンハーゲンでリンゴとタバコを買った父は、その値段の高さにショックを受け、熱をだしてしまった。母は私と同様お腹がすいては何もできないタイプなので、レストランに入った際、黙っている父の横でメニューを見て注文してしまった。それに対し「こんな高いところで注文したらあかん」と怒る父、完全にパニック状態である。「じゃなんで(レストランに)入ったんよ」と、母のいい分はごモットモである。この旅でどんなにケチっていたかが知れるエピソードだ。
この旅が元々留学中の出張手当を使っていたことはすでに述べたが、このような貧乏旅行の結果、それでも残ったお金で家を建てる頭金にしたという。ちなみにこの会社の留学制度はその後すぐ廃止されたらしい。もう時効だろうが...、よくまあそんな無茶をしたものである。
Update:この旅行の日記を母がブログに綴っています。ご覧あれ。

語学プログラムを終えて

今日語学プログラムの修了式があり、夕方には道がドゥバイ、フランクフルト経由でノルウェーへ向かった。私も明日日本へ発つ。語学プログラムは一種の国際的ユートピアだ。それぞれ違った背景を持つ人々が集まり、語学の上達という政治的駆け引きが全くいらない共通目的に向かって励まし合う。ここでは政府間のギクシャク感もなく、歴史問題で責められることもなく、努力する学生は尊敬され、面白い学生は好かれる。お互いにチャレンジし合う博士課程の授業は刺激的で好きだが、互いのナイフの切れ味を試し合う痛さも伴う。夏休みにこういった温かい雰囲気に包まれるのは、教育の原点に立ち戻るためにもいいかもしれない。
私がその語学留学の味を覚えたのは多分高校時代の豪/英国への短期留学だと思う。今回韓国にいて、高校を出たての子たちが目一杯韓国滞在を楽しんでいるのを見ると、当時の自分を思い出す。また同時に、留学を繰り返すことで、出会いと別れに慣れてしまったことにも気付く。
道を空港バスの乗り場まで送ってから、一人で「橄欖樹」を口ずさみながら帰った。孫燕姿が歌っているのを聞いて好きになったが、元々は違う人の歌らしい。そういえばみんなで노래방へ行った時にも歌った。
不要問我從哪裡來 我的故鄉在遠方
為什麼流浪 流浪遠方 流浪
為了天空飛翔的小鳥 為了山間輕流的小溪
為了寬闊的草原 流浪遠方 流浪
還有還有 為了夢中的橄欖樹橄欖樹
不要問我從哪裡來 我的故鄉在遠方
為什麼流浪 為什麼流浪 遠方
為了我 夢中的橄欖樹
気持ちがよくわかりすぎて怖い。

「近代史の先生と歩く旅」の案

何の案かというと、旅行用ガイドブックの案である。随分前からソウルのガイドブックを探していて、ソウル市内の本屋で日本語のものや英語のものを見比べている。あまり気に入ったのがなくて買い渋っていたが、マックユーザーとしては韓国のウェブサイトがうまく見れないことも多いので、地図や博物館等の情報がウェブで確認できない。結局日本から遊びにきた友達に最もベーシックなもの(といえばあれ)を買ってきてもらった。

一般のガイドブックの何が不満かと言うと、まず最近のは「韓流」の影響が強く、ドラマのロケ地などの紹介が主であること、そうでないものも高級レストランの紹介が本の半分以上を占めていて全く使えないこと、その上地域や観光名所の解説がひっじょーに薄っぺらいということ。
特に歴史的な名所と言われるところの解説はどれを読んでもあまりぱっとしない。ガイドブックもそろそろ「歴史的」や「伝統的」といった言葉に批判的な解説を加えてもいいと思う。歴史学や社会学では常識だが、いわゆる国家の「伝統」は近代になって作り直されたものがほとんどである。日本で言えば、たとえば「初詣」とか、「和」の国とか(詳しくはこの本参照のこと)。もちろん他の国も同じ様な歴史/伝統の「国家化」をしてきたわけで、国立博物館に行くとその「現在の国家観」を反映した歴史の語り方になっている。
ソウル市外の水原にある民俗村もそうだ。そこにある昔の村の様子は朝鮮時代の末期のものであって、「かなり伝統的」というわけでもないし、農民の家に立派な家具が置いてあったり、シルクの韓服で食事をしているわけないんである。別に観光の一部として楽しむ分には問題ないが、作った側の意図や理想的歴史像を見破れれば、もっと面白いはずだ。
というわけで、私がここで提案する「近代史の先生と歩く旅」には、本国の人や政府が語りたい歴史と、その近代性を暴く解説とを共に紹介させたい。各冊を「近代史の先生」(大学教授等)に担当してもらい、次の内容を含める:
1.地域の解説(市内をさらに地区に分けてそれぞれの特徴、雰囲気、最近の政治経済社会の情報やゴシップなど)
2.一般の観光情報(主な見どころ、アクセス、料金、時間など)
3.いわゆる「歴史」(政府や主催者側が外国人に聞かせたい歴史)
4.近代史の先生が実際に行った時の感想
5.3.で扱う「歴史」の近代性についての記事の紹介
4.の部分と5.の文献選びで近代史の先生が力を発揮する訳だが、歴史の創生自体が政治的であるから、その解体も政治的になるだろう。やってくれる人がいればいいけど。4.の部分には別に小難しいことを書かなくても、その時に出会った現地の人の話を含めたり、何気ないちょっとしたことでもいい。5.は担当の先生自身が書いてもいいし、関連の論文の要約や、新聞記事に少し解説を加える程度でも十分面白いだろう。
つまり、ガイドブックにも視点を!ナレーティブを!と主張したい訳だが、こんなガイドブックを作ってくれたら絶対買う、というのは私だけだろうか。